今も残る昔

テレビを見ていると大阪のあちこちを紹介する番組をやっていた。大阪で生まれ、大阪に育ったオレも知らない大阪だった。


四ツ橋」は元々地名ではなく、四角形に架けられた上繋橋、下繋橋、炭屋町橋、吉野屋橋の四つの橋の総称だった、とか道頓堀には五座と呼ばれる5つの劇場があったが今は面影もない、とかいった大阪が紹介されていた。


しかし、オレが一番興味を持ったのは東淀川区にある高射砲台跡である。実は10年ほど前、この近所に住んでいたが、まったく知らなかった。


しかもその高射砲台跡は、今では住居として利用されているらしい。さすが大阪。

戦争遺跡 西淡路高射砲跡住宅 (1) - 大阪DEEP案内

東淀川区の下町、淡路の住宅街の一画に、戦争遺跡をそのまま住居にしてしまったというとんでもない家があると聞きつけてやってきた。 戦時中に大阪市内の各所に作られた高射砲陣地。それらはB29に応戦するために作られたわけだが、終戦後は全て無用の長物になり、戦後の住宅難も相まって、そこで暮らす人が現れた。そして現在では大阪市内で唯一残る「高射砲跡住居」として東淀川区西淡路5丁目にある4基が残るのみとなった。それらは民家や倉庫などに使われている。

ちなみにオレは3丁目に住んでました。


うぉぉぉぉぉぉ行ってみてぇ!見てみてぇ!


場所はJR東淀川駅から徒歩で行けます。暇な人、お付き合いしてみません?