ちょっと早いが今年を振り返ってみた

仕事に限らず、人に尽くすというのは難しいことだ。


若いころ、バーテンのアルバイトをやっているとき、一生懸命カクテルを練習した。おいしいカクテルをお客さんに出すぞ!と意気込んでいた。レシピを覚え、シェイカーを振る練習をし、いろんな酒の本を読みあさった。新しいカクテルを覚えてはお客さんに勧めていた。


半年もしたころ、そんなのはサービスでもなんでもないとやっと気づいた。お客さんが自分の意志で選んだカクテルを当然のようにおいしくつくって出すのがサービスなんだと気づいた。いくらおいしくなろうが、こちらが「これはいかが?」と口にした時点でお客さんは自分の意志を出しにくくなる。お客さんが「何かオススメある?」と聞いてきたならまだしも、自分からそんなことを押しつけるべきじゃないのだ。


思い出している今もかなり恥ずかしい思い出だ。


お客さんに何の気兼ねもなく欲しいものを味わってもらう。そんなサービスを実現するにはあらゆる知識と技術を常に準備しておいて、どんな注文がきてもいいように備えておかなければならない。お客さんが知識と技術に気づくようなことがあってはいけない。そう気づいて、恥ずかしかった。


優しさもまったく同じだと思う。どう努力したか、何を犠牲にしたか、何を費やしたか。相手がそんなことに気づいてしまってはいけないと思う。気づいてしまっては相手が「こんなにしてくれたんだ」と重荷を背負ってしまう。


「あ、欲しいものがなぜか目の前に。ラッキー♪」と思わせるほどでないと、と思う。


相手が何を欲しがっているか、わかるわけがない。テレパシーなんて使えないんだから。だからたいてい博打になる。「これかな?」と思うものを差し出して、後は相手が決める。それしかできない。相手がどう受け止めるか、それは相手が決めることだから。


そして結果が見えないことも多い。喜んでくれてたのか、いらないものだとスルーしたのか。九割方、反応は見えない。


それでも自分ができるだけのものを差し出し続けるしかない。「何が欲しいの?」と聞いてしまえば、差し出したとき相手は「私が言ったからだ。」とこれまた重荷に感じてしまう。


テレパシーが使えたらな、とよく思う。一生懸命やったことが、見当外れで実はみんなに迷惑をかけていたなんてことはざらにあるから。


でもオレはテレパシーの使えない普通の人間だから、自分の想像力を頼りにいろんなものを作り出して、差し出し続けるしかない。


今まで、差し出してきたものをほとんどは、差し出された相手にとってまあどうでもいいものだったろう。そのうちのいくつかは迷惑だったろう。残りのいくらかは喜んでもらえただろうか。


某師匠
wackyさん
sa10kazuさん
shinさん
なすちゃん
隊長
ちぇるさん
taroheさん
てっちゃん
Yassさん
ややちゃん
はったん
こざるちゃん
あやぴゃん
コウさん
某マスター
Sちゃん
deerさん
ねねちゃん
紫さん
下田さん
ayamixさん

(順不同、一部敬称略)


ここには出なかったけれどオレに関わってくれたいろんな方々、オレの一生懸命はこの程度でした。ご迷惑をおかけした方々にはお詫び申し上げます。本人はぜんぜん気づいていませんので、きっぱりご指摘くださると助かります。


そして来年は俺様2.0*1でいきますので、懲りない方々はまたがんばってお付き合いくだされば幸甚。

*1:ここは「もう古い!」と突っ込むトコロ。