続・いじめの本質

みなさん、多くのコメントをありがとうございます。→ 「2006年11月23日 いじめの本質」

コウさんがおっしゃるように子どもには逃げ場がありませんし、自分の意志で逃げるということすら知りもしません。

私は、やはり家庭がひとつの逃げ場として在るべきだと思うのです。そして救うための主な武器は言葉でなく、スキンシップだと思うのですね。

子どもに会えるのは月に2〜3回なので、なるべく手をつないだり、抱きしめたりするようにしています。サッカーをしたり、散歩したり、野球をしたり、一緒に何かをする時間を積み重ねるようにしています。


KUPOさんがコメントしていただいた通り、親はただ何もできず見守るだけしかできない状況というのもあると思います。でも「何もしない」というのも選択肢のひとつで、子どもが自力でなんとかするチャンスでもあるんですよね。本人が自力でなんともできず、逃げるという選択肢を採ったときのために、親は子どもが逃げ込む場所であり続けるしかないんですよね。


だから、親は常に子どもが逃げてこれるような状況を保っておくべきだと思います。子どもと一緒に暮らせてもいない私が言うのもなんですが。


KUPOさんがご紹介してくださった「いじめ自殺を防ぐために2006」は自殺報道による自殺連鎖に対しての記事ですね。参考になります。特に「心に寄り添う」のところは非常に共感しました。


自殺が話題になっている今でなくとも、常日頃から心がけておくべきことなのでしょうね。


ちなみにこちらにコメントしていただいたKUPOさんのブログは熟年(うずら日記)です。私と同じテーマで書かれたエントリは11月22日の「熟年(うずら日記) いじめ虫」です。他のみなさんのご参考になれば。


いじめ問題に触れておられる方々からのコメントは、私に心強い実感を与えてくださいました。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。