子供の頃

兵庫県尼崎市の公園で24日、同市崇徳院2の私立浜田保育園の男児(4)が遊具から転落。腹部を強く打って同県西宮市内の病院に運ばれたが、26日午後3時50分ごろ、内臓の一部を損傷したことによる多臓器不全で死亡した。

自分の子供の頃を思い出すと、死んでいてもおかしくなかったと思うような遊びをしていたな、と思う。実際に大怪我したヤツも何人かいたし、自分自身もけっこう怪我をしていた。


公園には遊具がいろいろあって、無茶な使い方をしていた。ブランコは一回転しそうになる勢いでこいでいたし、滑り台はおもちゃの車で滑り降りてスピードを競い合っていた。柵を乗り越えて池に入って釣りをしたり、急な坂で自転車を目一杯こいでレースをしたりしていた。


いくつかの遊具は危険だということで撤去されてしまった。当時は撤去すればいいのか、危険を排除すればそれでいいのか、と反発していたが、今はあれでよかったんだと思うようになっている。公園は遊ぶための場で、危険から身を守る術を身につける場ではないからだ。


毎年数十人、あるいは数百人の子供が事故で亡くなっている。交通事故の場合もあれば、この記事みたいに遊具で遊んでいての事故の場合もある。釣りに行って池に落ちて溺れたり、高い所で遊んでいて落ちたり。


安全に危険を学ぶということはできないだろうか。矛盾してるんだけど、それができればもっと痛ましい事故は減るんじゃないかな。


オレは小学生の頃からボーイスカウトの活動をしていたから、普通の人よりはサバイバル度が高い。でもそれは危険について学んだからではなく、危険な目に会ってきたからだ。

  • 遊んでいて川に流された
  • カマドの火が枯れ草に燃え移って山火事を出しそうになった。
  • 漆の木の下にテントをはって、ほぼ全員があちこちかぶれた。*1一人は入院する羽目になった。
  • 真夜中に野犬の群れにテントを囲まれた。(これは2回ほどあった)


こんな感じ。


自分の、あるいは仲間のミスで食事がダメになって食べられないなんてのは日常茶飯事。衣食住の確保が最大のテーマだった。この経験は貴重だったな、と今になって思う。


「自然と触れ合う」なんてお題目の林間学校なんかがあるけれど、田舎幻想をかきたてるだけで役に立たない。もっと自然の厳しさと、自然と共生するという意識、そのためには戦うことが必要なんだと教えること。これが大事なんじゃないか。


閑話休題


オレも自分の子に危険を教えることができるだろうか。オレの子はドジな部類に入るから、けっこう心配だ。今度会ったらジャングルジムや雲梯で遊ばせてみよう。

*1:なぜかオレ一人は無事だった。まぁ皮膚は強いんだが。