感情は道理を超えていいのか

asahi.com:線引き救済許せぬ 肝炎原告、和解骨子案に怒り・失望 - 社会

「被害者全員の救済ではない。受け入れられない」。薬害C型肝炎訴訟で、13日に大阪高裁から和解骨子案を示された原告側は、その場で拒否の意向を伝えた。「一律救済」を求めてきた原告たちにとって譲れない内容。全面解決への期待を高めていただけに、失望と怒りが広がった。「あとは福田首相の決断しかない」。政治による救済を求める声があがった。

新聞各社は肝炎被害者をヒロインとしてドラマを仕立てあげてしまっている。政治を悪者に言いたい放題である。特に朝日新聞


どこを見てもほとんど筋を通した意見は見当たらない。まっとうなのは町村官房長官の「筋というものもある。何でもかんでも政治決断とはいかない」というセリフくらいだろうか。

福田衣里子さん「人生を返して」 薬害肝炎 (2/2ページ) - MSN産経ニュース

「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」

このセリフも同情はするが、まったく共感できない。


この薬害で責められるべき不作為や悪意によって引き起こされた部分はほんの一部だと思える。治療をしたら肝炎に感染した人たち。ではその治療がなかったらどうなっていたのか?当時の薬事技術で治療も行ない、肝炎被害を避ける選択肢はあったのか?


舛添さんもえらく叩かれている。舛添さんを非難する筋合いのものか?


かわいそうな人に無条件で味方してるマスコミのみなさん。まっとうに薬事に打ち込んできた人たちを軽んじてはいませんか。当時、その時代の技術の中でがんばってきた人たちを貶めてはいませんか。


今回、一律救済ということになれば、それ相応のお金が国庫から出て行く。そしてその分どこかの福祉の予算が削られたり、できるはずだった整備や建設ができなくなる。あるいは税金が上がる。

そしてまったく関係のない人が死んだり不利益を被ったり不幸になったりするのだ。報道されることもなく、誰にも知られず、本人すら理解することもなく。


あっちを見てもこっちを見ても、かわいそうな人を助けろ!と無邪気に叫ぶ人たちがいる。マスコミも正義の味方を気取ってお祭り騒ぎだ。


この国にジャーナリズムはない。自殺してしまった。


道理がすべてではない。感情論をぶちまけるだけのものを背負ってしまった人たちの叫びを「単なる感情論」と軽く片づけるつもりもない。救済なんかするなというつもりもない。


肝炎被害にあうことで人生が狂ってしまった人たちが失ってしまったものを少しでも補えるのは国による金銭の保障だけではないはずだ。そういう論議をだれかが提出できないものだろうか。