人が変わる
人格ってのは実は一人の中にいくつもあったりする。「人格」という言い方に違和感があるなら「キャラ」と言ってもいい。
昔の友達と会ったときに言葉づかいが当時に戻ってしまったりするのは、だれでも経験があると思う。その時代、その時代の人格というものがあるのだ。
また、家族といるとき、仕事をしているとき、友人と遊んでいるとき。だれでも人格が違うはずだ。舞台によっても人は人格を使い分ける。
なぜこうなるのか。周りの期待に応えようという心理が強く働くからだ。「この人はこういう人だ」と相手が思っているキャラクターを体現しようとするのだ。
本人が変わりたいと思っても変われない大きな理由のひとつがここにある。
当然オレも場所や周りの人たちによって人格が変わる。オレがいくつものバーを飲み歩く最大の理由がここにある。騒ぎたいとき、考え事をしたいとき、酔いたいとき。自分の気分によってお店を変える。あるバーでは騒がしいオシャベリだけど、また違うバーでは無口な人になっている。バーによって、オレはまったく違う人に見られている。
以前、飲み友達だった人と一緒に仕事をすることになったことがある。半年ほど経ったころ、その人が言った。
「人のいい酒飲みだと思ってたけど、こんなに鬼畜だとは知りませんでした。」
とりあえず褒め言葉と受け取っておいたけれど、それ以後その人と飲みにいく機会は激減した。嫌われたわけではない。仕事の場での関係ができあがってしまってから、人間関係が変質してしまったからだ。酒場ではお互いの歯車がかみ合わなくなってしまったのだ。
本人が望もうと望むまいと、周りが望もうと望むまいと、人は環境の変化でどんどん変わっていく。変わっていかざるをえない。それを飲み込むのは大変だ。
オレも今、環境が激変して、自分が変わっていってるのがわかる。どんな自分ができあがるのか、見当もつかない。でも不安はない。今よりもマシな自分になれるだろう。そう確信している。
もちろん今まで培っていたきたオレが消えてなくなるワケじゃない。ただオレにもうひとつバージョンが増えるのだと思ってほしい。
バージョンが増えるからといって機能が増えるわけじゃありません。別にバグも増やしません。
たぶん。