実名である必要性・事前の検証の必要性

Wikipediaの問題を改良した実名投稿の「Citizendium」公開 - INTERNET Watch

 記事の執筆者には誰でもなれるが、Wikipediaとは異なり、実名で投稿しなければならない。そして、記事の品質を高めるためにできるだけの努力を払うことが求められている。その上で編集者が記事の内容に間違いが無いかどうかを確認し、場合によっては訂正が求められる。

実名である必要があるのか?実名であるがゆえに投稿できないケースがあるのではないか?
内容はWikipediaよりも体系的になるだろうし、情報の整合性も保たれるだろう。だけど集合知のメリットがスポイルされてしまわないだろうか。

Wikipediaはある程度無責任に編集されているがゆえに信頼性に疑問があると指摘され続けてきたけれど、それは利用者側が必要があれば検証すればいいだけの話であるように思う。対してCitizendiumでは検閲*1を通過できない情報は利用者まで届かない。利用者は掲載内容を鵜呑みにするか、真偽の判断材料を他に求めざるをえない。


あらゆる説が併記されていれば利用者は自分で情報を選別・判断できる。しかし「学術的に正しい」ものだけが選別されて掲載されても、ネット上にある百科事典という価値しか持てないんじゃないか。それなら現在発行されている百科事典をそのままオンラインで読めるようにした方が早くはないか。


歴史などは時が進むにつれて解釈が変わったり、新たな材料が出てきてそれまでの歴史観を修正することを迫られたりする。すべての説が併記されていれば、それは普遍性を持った情報源になりえるが、Citizendiumはそのとき、その時代ごとに修正を必要とする。


Citizendiumのシステムは「権威」を守るための城壁なんじゃないか。Wikipediaがある今、あらためて作り上げる価値がCitizendiumにあると思えない。

*1:あえて検閲と呼びます