民事不介入の原則は幻

民事不介入の原則というのは、「警察は民事には手を出しません」という原則のことです。民事とは民法上の事件ということ。ひらたく言うと「私個人間の揉め事」ってことですね。

けっこう知らない人も多いですが、今の警察はこの原則をキッチリ守っています。

どうしてこんな原則があるのかいうと、

  • 個人間のもめごとに警察が手を出すと警察に味方してもらった方が有利になって不公平になってしまう
  • 警察が民事にまで手を出すと、個人の権利や財産が侵害される恐れがある

二番目の理由はわかりにくいかもしれません。言い換えると警察が暴走しちゃわないように歯止めをかけておこうということです。


この民事不介入の原則ってのは主に警察の暴走に歯止めをかけるという観点からすごく重要視されています。

その反面、民事不介入の原則があるがための弊害も多々あります。

「会社にヤクザが来てイチャモンをつけられたので警察に連絡したが来てくれなかった。」なんて話を聞きますが、これは民事不介入の原則があるからです。
最近騒がれている監禁事件で、「監禁されている。助けて。」というメールを見せても警察は動いてくれなかったというのも民事不介入の原則のせいでしょう。*1


ところが先日読んだ「世間のウソ (新潮新書)」に、「民事不介入の原則は幻だ」と書かれていたのでビックリしました。なんでも根拠となる条文はどの法律にも存在しないのだとか。

いろいろ調べてみますと歴史的経緯から条文化されることがなかったようです。むしろ条文化する必要がなかった、ということでしょうか。

「世間のウソ」に書いてあるように、戦前はみかじめと家父長制に代替されていたという事実、そしてそもそも警察の暴走を防止しなければならないという発想自体がなかった、ということのようです。

そして戦後は罪刑法定主義令状主義により、警察は決められたことしかできないようになって実質上、民事不介入の原則があるようになっていた、というのが実情でしょう。


しかし、民事不介入の原則を口実に職務をサボる警察官ももちろんいるわけです。動きたくても動けないケースも出てくるわけです。

そういったことが最近は問題になってきて、ストーカー規制法*2DV防止法暴対法の制定に結びついているんですね。


いろいろつながって勉強になった。


世間のウソ (新潮新書)

世間のウソ (新潮新書)

法令については法令データ提供システムで検索できます。警察法刑事訴訟法なんかが主に今回の話に関係します。

そろそろ六法全書買い直さないと...