また嘘つきアーニャ

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

もう二度、読み返した。

日本に生まれ育っていては接することのない宗教、民族、国境の壁。でもこの作品が胸を打つのはそれらの壁を越えた友情が描かれているからじゃない。著者の米原万里さんの友人を大切にする心だと思う。

アーニャには何が見えているのだろう。自分に都合のよい正しさを信じ、その正しさの持つ矛盾に気づかない。

ヤスミンカは今、家族と幸せに暮らしているのだろうか。爆撃の被害を免れることができたのだろうか。

宗教問題、民族問題が引き起こす悲劇はまだまだ世界中にあふれてる。そこには無数のリッツァやアーニャやヤスミンカがいるんだろう。

「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに。」

某亡命音楽家の言葉だ。この言葉を読んだとき、ふと「報酬主義をこえて (叢書・ウニベルシタス)」という本を思い出した。

報酬主義をこえて (叢書・ウニベルシタス)

報酬主義をこえて (叢書・ウニベルシタス)

競争原理の問題点を指摘した本だ。某亡命音楽家の言葉は同じように競争原理が持つ弊害のひとつを言い当てているように思う。そしてその弊害は確実に誰かの幸せ、才能を砕いてしまっている。

現代は資本主義万歳、民主主義万歳の世の中になっている。でも資本主義は絶対のものではない。民主主義は絶対のものではない。

少しずつ、今の世界の状況に照らしながら修正していかなきゃいけない。大事な人達を守るために。

そして世界のどこかでは大事な人達を守るために、そうでない人達を殺戮する人達がいる。


オレがそうならなかったのはオレが善人だからじゃ、決してない。誰も殺さなくてもよかっただけにすぎない。


米原万里さんは先日、亡くなった。リッツァは、アーニャは、ヤスミンカは、その訃報に接して悲しんでいるだろうか。