自己責任とは何か

イラク人質事件にからみ、「自己責任」という言葉が連呼されるようになった。


以前にも同じような状況があったような気がずっとしてた。


あれだね、金融自由化が始まった頃に似てるんだね。あのときも自己責任が叫ばれてた。
預金保護はなくなり資産の運用は自己責任と。


その頃出版された自己責任を論じた本に「〈自己責任〉とは何か」 (講談社現代新書)がある。何の結論も出していないし、議論もアレゲでバランスの悪い本だが、論点はイラク人質事件の自己責任論と同じだ。どういう視点があるのか、という部分だけを立ち読みするといいかもしれない。(買ってまで読むほどの価値はない)



正直言って、今の時点でジャーナリストやNGOが危険度を判断できるほどの情報が出されているのだろうかと疑問に思う。危険地帯だからこそ入る人達を対象にした情報を政府は提示していただろうか。

それをしていないで自己責任を主張しても空論でしかない。どれだけ危険かを判断するだけの情報があってこその自己責任だ。


逆にジャーナリストやNGOは、危険地帯の危険度を計る情報の収集をしていたのだろうか。政府に対して現地情報を要求していただろうか。現地の情報を集める努力もせず「私達には使命がある」といったところで幼稚な正義感というしかない。イラク入りを止められるから政府に現地情報を要求するわけにいかない、という程度であれば他人を巻き込まないためにも日本国籍を捨ててからイラク入りすべきだ。他人を巻き込んでまで自分の使命を果たすべきと考えるのなら、批判されることに甘んじ使命の主張などしてはいけない。


「日本政府」と「ジャーナリストやNGO」はまったく違う目的、動機で同じイラクという危険地帯にいる。そこには連携が必要なはずだ。そして一方だけが理解を示し努力しても連携はできない。双方が相手を理解し努力することが必要なはずだ。